やすりは切削工具のひとつであり、ホームセンターに行くと紙やすりやスクレイパー(塗装剥がし)などと一緒に置かれていることが多くあります。やすりを購入して使用する人の多くは、ホビー系やDIYで使用されることが多いようです。 今回は、国内におけるやすりの主要生産地である広島県呉市仁方の「仁方やすり」の歴史や、仁方で誕生した製品の一部についてご説明いたします。

鑢共同組合広島連合会 展示
(画像=鑢共同組合広島連合会 展示)

目次

  1. 仁方やすりの始まり
  2. 仁方やすりの最盛期と衰退
  3. 仁方やすりの現在と展望
  4. 仁方やすりの伝統を受け継ぐ製品が技能五輪で活躍

仁方やすりの始まり

仁方(にがた)やすりの起源は、大阪からやすりを導入したのが始まりであると郷土誌に記載があります。金谷弥助、仁方の嘉平次、梶山友平らが文政から慶応(1818年~1867年)にかけて、大阪でやすり製作の修業を行い、仁方にやすりを技術転移したといいます。

技術移転のもっとも早い時期は1824年とされていますが、当時の仁方村の人口は2,789名でそのうち商工業に従事していたものが1,000名余りいたとされています。当時の地方の村としては商工業の従事者が多く、商工業の基盤が存在していました。

仁方でやすり産業が栄えた理由には、このような仁方村の産業従事者の構成や、大阪で修業した3人が仁方や現在の広島市に戻りやすり造りを始めたことが小さな芽となり受け継がれて地場産業として成長したことが挙げられるでしょう。

明治23年には26戸が仁方村でやすり業を営んでおり、年間12万本の製造を行うまでに発展しました。販路も瀬戸内側の広島、尾道、三原、呉、山口、伊予方面まで広がりました。また明治10年頃から仁方出身者により広島市においてもやすりの製造が始まり、明治42年にはやすり生産量が年間88万8,000本を記録しました。

明治末期から大正期におけるやすり目立て機械の発明により生産能率が約5倍となりました。仁方村から町に昇格した仁方町でも100台を据え付け、やすりの生産高は年間300万本に達し、従事する男女工500名に至りました。目立てが機械で行われるようになると、前工程の成形が間に合わなくなり材料の変更及びロール圧延機の開発が梶山万次郎氏にて行われました。

そこで九州・八幡製鉄所の技術支援も得て悪戦苦闘の末、やすり用ロール圧延機が開発されました。開発された機械を使用し、やすりの材料を供給する会社として大正15年に万国鑢材料製作株式会社が設立しました。そのおかげで仁方やすりの供給体制は整いました。(1941年、仁方町は呉市に編入されます。) 万国鑢材料製作株式会社は戦後広島県鑢工業協同組合に引き継がれ昭和40年代まで存続し、仁方のやすり産業を支えました。

仁方やすりは、大正後期から昭和初期にかけて生産量は220万~260万本と推移し、軍拡期の昭和9年(1934年)の315万本、翌年の391万本と増加し、昭和17年(1942年)には企業数50社、従業員1,300人と最高を記録しました。

仁方やすりの最盛期と衰退

戦後の呉市では、海軍工廠のあった呉地区、軍用機等の生産を行っていた広地区は空襲を受けて大きな被害が出ていましたが、戦災に遭わなかった仁方地区では生産設備が残っていました。総じて昭和20年代は終戦直後の経済的混乱の中、好不況の波はありましたが人員の復帰とともに生産体制が整い、戦災を受けた大阪、東京のやすりメーカーから機械を買い取り生産に入っています。

売上高の指数は昭和23年を100とした場合、24年は129、25年180、26年252、27年178と推移してゆき、昭和24年(1949年)には全国生産額の70%を占めるに至りました。

この時期は呉市においても製鉄、造船、造機の施設を持つ企業が定着し、やすり産業としても追い風となりました。また呉市、広島県、広島県鑢協同組合の3者が協力して、やすりの作業工程の機械化、検査工程の数値化、視覚化を実現し、現在につながる生産体制を確立しました。

造成当時の仁方やすり団地 航空写真
(画像=造成当時の仁方やすり団地 航空写真)

最盛期である昭和30年後半から40年初頭には事業者120社、従業員4,000人を数えたと言われていますが、2022年の組合解散時には非組合員をいれても15社前後、従業員200人足らずという現状となっています。

仁方やすりに限らず、やすりという切削工具の衰退の原因は工作機械の高性能化と各種作業用電動工具による使い捨て刃の普及にあると考えます。また一口に衰退といっても1980年~2000年頃においては、大きな販売先が現れました。これが現在、日本全国にあるホームセンターとなります。

ホームセンターは、1973年では30店でしたが、2000年には3700店と急激に拡大しました。これに合わせてやすり業界も一部の会社では、ホームセンター向け商品に対応すべく一般消費者が取り扱いやすい商品の開発や、包装形態と商流の変更が行われました。営業形態も従来の工具取り扱い業者の割合が下がり、大手卸会社の割合が大きくなったことにより利益の低下につながっています。

グラフ=年間総売上高とホームセンター数の推移(推計値)を抜粋
(グラフ=年間総売上高とホームセンター数の推移(推計値)を抜粋)

しかし、ホームセンターにおいても安価な海外輸入品の取り扱いが増えたことにより、仁方やすりの需要は激減することになりました。

仁方やすりの衰退は、業界内部的には製造コストの低減ができなかったことや、製造従事者のやすり製造離れのほか、製品の付加価値を社会に示すことができなかったことにあります。外部環境としては、日本の金属加工業において工作機械の高度化と使用範囲が小さくなったことや、個人の趣味として使われることが主になった影響が大きいと考えます。

仁方やすりの現在と展望

現在、仁方やすりの生産金額の大部分を仁方地域の1社が担っているのが現状ですが、数社ではいくつか特徴のある製品が生まれています。例えば以下のようなものがあります。

A社 :ペットなどの猫に使用するやすり
B社 :「高級爪やすり」といったネイルや野球選手などの指先の手入れに使うやすり
C社 :本来やすりは押して削りますが横方向でも削れるやすり

過去から現在に至るまで、やすりは金属加工、木材細工、工業製品の部品、医療、美容、レジャーの道具として幅広い使われ方をしてきました。将来的に思わぬ方向性を見出すかもしれません。

仁方やすりの伝統を受け継ぐ製品が技能五輪で活躍

呉市仁方にあるMipoxの呉ベースでは、一つの方向性として金属製薄板(0.5mm~1.0mm)にやすりの目立て加工を行い、素材の選択、目立ての種類、窒化・熱処理方法、表面処理の組合せにより多様な状況に対応するシートヤスリの開発に取り組んでいます。 一部商品化されており、「オムニサンダー」としてホームセンターにて販売しております。

オムニサンダーハンドルセット
(画像=オムニサンダーハンドルセット)

仁方やすりの伝統を正統的に継いだ製品として「技能五輪で使用される高精度やすり」も製造しています。2022年の技能五輪大会では、こちらの製品を使用している出場企業が機械組立ての部門において金賞を受賞しています。Mipox製品が金賞受賞の一助になったと自負しています。

以上のように、Mipoxの呉ベースでは、さまざまな『削る×磨く』であらゆる可能性を求めて開発を進めています。皆様のお手伝いができることがあればお気軽にご相談ください。

参考文献:苅山信行「やすり読本 新・改定」